最終更新日:2019.02.05 公開日:2017.09.07
スペシャルインタビュー

エキスパートに聞く「仕事とお金の話」⑮

お得な結果につながる良い製品を選ぶためには、「自分とは何か?」を考えることが必要になります

Interview Guest : 武正 秀治(多摩美術大学教授)

Interview Guest

武正 秀治(多摩美術大学教授)

武正 秀治(多摩美術大学教授)

多摩美術大学美術学部生産デザイン学科 教授。1957年東京都生まれ。80年NECに入社、情報機器のデザインに従事。89年同社チーフデザイナーとしてアドバンスデザイン部へ。
 
93年より現職。第一回国際デザインコンペティション・国際デザイン交流協会会長賞など受賞多数。グッドデザイン賞等の審査員、雑誌への執筆などデザインの世界で幅広く活躍中。
 

 多摩美術大学でプロダクトデザインを専門にご担当されている武正秀治先生。自動車や家電など、生活に身近な製品の歴史や変換にも詳しく、時代ごとの「三種の神器」を紹介する展覧会の企画なども手掛けています。そんな武正先生に「暮らしとデザイン」をテーマにお話をお聞きしました。
 
結果的にお得なことにつながるという、満足度の高い製品を選ぶための考え方を、デザインという視点から詳しく教えていただきました。

 

日本の美意識は「伊勢神宮」と「歌舞伎」の対極の面をもつ

——私たちがものを購入する時、できるだけ良いデザインで、機能も優れている製品を選び、満足感を高めるにはどうすればいいとお考えになりますか?
 
 見た目や佇まいも一つの機能だと思います。デザインが飽きないものであることはとても大切です。たとえば流行に左右されない、スタンダードなデザインなどが一例と言えます。
 
多少価格が高くても長く使えるものはエコなデザインということになります。「安物買いの銭失い」という言葉がありますが、その逆もまた然りで、飽きないデザインの製品を選ぶことは、結果的にお得な買い物になるのではないでしょうか。また、そういった製品は使っていて気分がいいです。大事にして愛着もわくから、壊れても修理して使おうという気になる。そこにも付加価値があり、永きにわたり満足度も高くなると思います。

 
——日本のプロダクトはハイスペックなものが多く、機能性は重視されていますが、飽きないとか長く使えるデザインのものは少ないと感じます。
 
 日本の根源的な美意識は、伊勢神宮などの神社に代表される、本当に必要なもの以外をそぎ落とした究極のシンプルさだと思います。そこに身を置いてみると、風の動きや木々の葉がゆれる気配を感じる。自然のちょっとした動きが増幅されて伝わってくるような施設です。そのような空間は神道の世界観によって生み出されていて、すべてのものに魂が宿るというアニミズムが根底にあります。
 
 一方で、歌舞伎のような絢爛豪華な世界も日本の美意識の一つですね。この二つは対極ですが、日本にはその両方があって、どちらが良い悪いというものではないんだと思います。これは私の個人的な見解ですが、現代の日本の車や家電などのプロダクトは、どちらかというと歌舞伎系の流れがきているのではないかと感じています。
 
新型プリウスを見るたびにガンダムを連想してしまいます。機能的には必要ないけど、寂しいから付け足してしまって、どうしても装飾的になってしまう。でもそれは昔からずっとそうなのかもしれません。江戸時代には、歌舞伎は庶民の文化でしたから、マスである大衆は装飾的なものを求めてきたとも言えます。
 
しかし、根底はアニミズムですから、どちらかに振れるだけで、美意識としては両方あって、シンプルなものを求める人は一定数います。また、家電などの分野では、日本のメーカーもスタンダードなシンプルさに目を向けはじめ、デザイン性が高く、機能的にも工夫を凝らした製品などを、送り出している傾向もあると感じています。

 
 消費者側も一昔前は、ソファはバリ風、家具は北欧風、家はスペイン風みたいな、選び方をする人がいましたが、最近は減ってきていて、セレクトするセンスが整理されつつあるのを感じます。さらに今は実態のあるものではなく、インフラやサービスなどを選ぶ時代になりましたから、ますます「何がいいものなのか」は言いきれなくなってきていると思います。
 

スマートフォンのデザインは、ソフトを引き立てるための額縁

——実態がないもの、形がないものについて、消費者は何を基準に選べばいいのでしょうか?
 
 「ダイバーシティ」という言葉も盛んに聞こえてきていますが、多様化する製品やサービスのなから、自分に合ったものを見つけることが大切になってくるでしょうね。しかし、そうなってくると多くの人は「自分って何なの?」という疑問にぶち当たってしまうのです。
 
たとえば、スマートフォンやダブレットのデザインは額縁ですよね。デザイナーもソフトウェアがよく見えるようにあえてシンプルな額縁にしているのに、キラキラしたシールを張ったり、デコレーションしたりする人もいます。わざわざ歌舞伎の世界にしている人というのは、自分が求めるものを知っているということだと思います。
 
 スマートフォンのアプリなどソフトウェアは、使う人がアレンジして、手を入れられるようになっていますよね。結果としてハードもそうなってしまっている。そのような状況だから、ものをつくり出すデザイナーの側も、ユーザーを想定しきれなくなってきています。どんな装飾をされてもいいものを送り出さないといけなくなってきますから。
 
——そのような環境で、デザイナーはどういう意識でものづくりに向き合っていくのでしょうか?
 
 本質的には実態のあるもののデザインと変わりません。道具にとって一番大事なプライオリティは必ずあって、それをどうやって引き立たせるかということだと思います。スマートフォンは、インタフェースやソフトウェアが一番映えるから額縁になりました。使いやすくするためにはどうすればいいか、送り手としてはそこを考えていくことになります。
 
 デザインという行為自体も、デザインをするためのいろいろなソフトウェアが出てきていて、デザインの教育を受けていない人もデザインができるようになってきています。しかし、実際に絵を描いたことがない人が、コンピュータで絵を描くと、どこかおかしな絵になることが多いです。3Dでプロダクトのデザインをしても、無重力空間じゃないと存在できないようなものになってしまうことがある。デザイナーとして、実態のあるものづくりは絶対必要だと思います。
 
 多摩美の学生たちは、デザインしたものを試作する時には、必ず手でつくります。頭で考えた形を、手でつくって削ったり足したりしているうちに「こっちのほうがいい」「こうすればもっといい」と、どんどん良くなっていくからです。3Dプリンターを使えば簡単につくれてしまうけれど、それをやってしまうと、手でつくっている試行錯誤のプロセスが丸ごと抜け落ちてしまうので、やはり完成するもののレベルは変わってくると思います。
 

修業しないと使えない日本の道具がもつ「用の美」の重み

——日本には、民芸運動から生まれた「用の美」という言葉がありますが、現在の暮らしのなかで「用の美」を上手く取り入れて、楽しむ視点を教えてください。
 
 「用の美」に近いのは「形は機能に従う」というモダンデザインの考え方。バウハウスというドイツの美術学校の教育から出てきた概念です。改めて概念化して、名前を付けたのはバウハウスだけど、昔からあったもので、日本では大正時代にはじまった民芸運動のなかで「用の美」と呼ばれました。だから日本にも西洋にも、同じような考え方はあるんですね。しかし、その重みは全然違うと思います。
 
 大工道具や包丁などの日本の道具は、修業しないと使えないものが多いんです。西洋の道具は誰が使っても上手に使える造りになっていて、手で持つ場所がグリップの形になっているなど、教わらなくても持つところがわかり、使い方も想像できます。西洋では道具が人に合わせてくれますが、日本では人が道具に合わせる。
 
そこで、日本人は道具の使い方を学ぶわけですが、その時に使い方だけではなくて、そこに付随する知識まで学ぶことができます。包丁なら食材のことや、和食文化そのものを知ることになる。海外にも機能美に優れた素晴らしい道具はたくさんありますが、日本の「用の美」は文化の重みが違うと思うんです。同じようにカッコいいと思っても、それを知っていて使うのと知らないで使うのとでは全然違います。知っていれば、道具を使うために練習してみようという気持ちになり、包丁なら研ぎ方を学んで、先端が小さくなるまで大切に使おうとすると思います。

 
 最近では、日本に来る外国人たちにも日本の包丁は、お土産として人気があるそうですから、もののもっている深み、そこから滲み出る魅力に、多くの人が気づいているのかもしれませんね。
 
 ちなみに、デザインという言葉が日本に入ってきた時、「意匠」と翻訳されました。「意」は思いとか考え方を設計するということで、コンセプトのことを指しています。また「意」という漢字は「音」に「心」と書き、「音に発しない概念を表す」という意味合いを含んでいます。
 
一方「匠」は、「匚(はこがまえ)」の中に「斤」が入っています。「匚」は大工さんが使う「サシガネ」というL字型の定規を表現しています。「斤」は「チョウナ」という、L字型の斤のことで、山から伐ってきた丸太を木材に加工するための道具です。「匠」という字は「サシガネ」と「チョウナ」を使って素材から表現するという意味合いがあるんですね。「意匠」という言葉は、日本的なデザインの概念を上手くはめ込んだ、非常に良い訳だと思います。

 

日本の手仕事、職人の技術が評価される土壌は世界中にある

——消費者として日本の手仕事の良さを理解し、それを求める人は少なくありませんが、それをとりまく環境は厳しく、多くの職人さんが後継者不足や経営的な難しさに直面している現実もあります。何か良い方法はありませんか?
 
 一つは販路の問題があると思います。たとえば、日本の伝統工芸の技術を認めている海外に発信するなどして、今までにない新しい販路を開拓していくことが必要なのかと思います。
 
 私が教えている学生は、毎年自費でイタリアのミラノサローネ(世界最大級の家具見本市)のサテリテ部門(若手の登竜門と位置づけられる展示)に作品を出展していますが、「フォンデュ・スリッパ」という作品を出して、話題になりました。それは樹脂の中に足を入れて、自分の足の形に合わせたスリッパをつくるためのキットなんですが、地元のメディアの取材が殺到するほどで、大変高い評価を受けました。この「フォンデュ・スリッパ」に似たものが日本の足袋です。日本には昔から足袋という足にぴったりするフィットする履物があるけれど、ヨーロッパにはない。
 
だから新しいものとしてウケたんだと思います。職人さんの技術とは少し違うかもしれませんが、海外にはないものを、しかるべきチャネルを使って発表すると、ちゃんと評価される土壌はあります。たとえばデザイナーと職人さんがコラボレーションするなどして、その技術とプレゼンテーションを理解してくれる人たちに発信すれば、新しい販路が見出されるかもしれません。海外のバイヤーたちも、日本の伝統工芸の技術には興味をもっていると思いますよ。

 

「三種の神器」の変換をたどると時代の価値観が見えてくる

——武正先生が企画・構成などをご担当された「家電のある生活展」について教えてください。
 
 1950年代から現在までの各時代の「三種の神器」を紹介する展覧会です。初代三種の神器は、高度経済成長期の白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫。ものを持っていること自体がステータスだった時代です。その後は、昭和45〜50年くらいにかけて、3Cと呼ばれたカラーテレビ、カー、クーラー。オリンピックや万博、新幹線開通などの勢いもあり、ワンランク上の生活を志向するようになります。90年から2000年にかけてはDVDプレイヤー、デジタルカメラ、薄型テレビ。モノからコトへの時代で、ハードからソフトへと価値観が変化しました。
 
これらはハードじゃなくてソフトを楽しむためのツールですよね。そして現在はIOT、AI、ビッグデータ。ソフトを超えてインフラやサービスになってしまいました。

 
 そもそも神器となる家電に代表される生活用品、その他のもの、デザインや社会の仕組みなどは、豊かで幸せな暮らしを実現するための道具です。「三種の神器」は時代の価値観を反映しますから、その歴史的な変換をたどっていけば、「豊かで幸せとは何か?」という価値観が変わってきているのを知ることができます。価値観とは尺度やフィルターのこと。人々が求める希望や欲望をはかる尺度やフィルターは常に変化するものなのですね。ぜひ「家電のある生活展」で、変換のダイナミズムを感じてみてください。
 

エキスパートに聞く「仕事とお金の話」⑮

  • 1:お得な結果につながる良い製品を選ぶためには、「自分とは何か?」を考えることが必要になります
村田保子

執筆者:村田保子(むらた やすこ)

Financial Field エディター

 

 

岩田えり

Photo:岩田えり(いわた えり)

フリーランス・フォトグラファー

日本舞台写真家協会・会員。タレント・舞台俳優など人物写真を得意とする。

 

 

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