更新日: 2022.07.29 年収

江戸時代の「侍」の年収って?刀は給料何ヶ月分だったの?

江戸時代の「侍」の年収って?刀は給料何ヶ月分だったの?
江戸時代における侍は、今でいうところの公務員です。現在でも公務員は市民の税金が給与となりますが、当時の侍も市民から徴収された年貢によって生計を立てていました。ただし、侍が受け取る給与は現金ではなく、主にコメです。
 
そのため、当時の侍の年収も、コメの量によって決まります。では、江戸時代の侍は、どの程度のコメを給与として受け取っていたのでしょうか。現在の価値に置き換えて計算してみましょう。
FINANCIAL FIELD編集部

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江戸時代はコメ本位制! コメの価値を現在の貨幣価値に換算するといくら?

江戸時代はコメを中心に経済が回るコメ本位の体制を敷いていました。年貢の量はもちろん、身分などもコメによって管理され、侍が受け取る給与もコメを基準に定められました。
 
現在では、平均年収を「○万円」などのように通貨の単位で表記しますが、コメが基準であった江戸時代はコメの量を表す単位である「石高(こくだか)」という呼称で表されていました。また、侍の給与は年功序列や成果主義ではなく、親から受け継いだ生まれながらの身分によって決められる点も現在とは異なる点です。
 
石高が1万石を越える侍は、いわゆる大名と呼ばれる侍になります。では、大名クラスが受け取る1万石とは、現在の価値ではどのくらいになるのでしょうか。
 
当時の通貨基準では、1石を通貨に換算すると約1両に相当するそうです。つまり、1万石の石高は、通貨にすれば1万両の価値があったということになります。ちなみに、1両は現在の貨幣価値で約10万円に相当するようです。
 
したがって、受け取る石高が10石なら、現在の価値で100万円、1000石なら1億円という給与水準となります。大名クラスの1万石となれば、単純計算でも10億円。江戸時代は大名ともなると、相当な高収入が見込まれる時代だったことがわかります。
 

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平均的な侍の給与はどれくらい?

大名クラスでは相当な高収入が見込める一方、江戸時代に幕府に仕えていた侍のほとんどが大名ではない「旗本」や「御家人」と呼ばれる身分でした。将軍に謁見できる「旗本」が約5000人、謁見できない「御家人」が約1万5000人存在したといわれています。
 
こうした「旗本」や「御家人」の石高を平均すると、だいたい100石が相場だったようです。100石は約1000万円ではありますが、当時の侍も給与から税金を差し引かれます。その分を差し引くと、当時の平均的な侍の年収は500万円くらいに収まると考えられます。
 

平均的な侍の年収で刀は買える?

武士の魂ともいわれる刀は、侍であれば平民と身分を区別するために必ず携帯しなければいけないものです。現代における刀は、主に美術品として大変高価なものですが、当時は今より多くの刀鍛冶が刀剣を鋳造しており、中古品も市場によく出回るなど今とは刀の価値観が異なります。
 
とはいえ、高品質な刀は侍であっても簡単に手に入れられるものではなく、高い刀は侍の平均的な年収に匹敵することもありました。
 
幕末に活躍した新選組の帳簿によれば、刀1本あたり1~10両程度で取り引きされていたようです。1両が10万円とすると、当時の刀は1本あたり10~100万円で出回っていた計算になります。
 
ただ、幕末は貨幣の価値が江戸初期に比べて下がっていたともいわれ、江戸初期には1本の刀が25両で取り引きされたという記録も残っています。25両は現在の貨幣価値で250万円以上となるので、当時の刀はかなり高額な値段で取り引きされていたようです。
 
江戸時代の平均的な武士の年収が500万円だったとすると、高品質な刀を1本購入するために年収の半分を費やす計算になります。中古品や安い刀なら大した出費にはならないかもしれませんが、当時の侍にとって刀は高い買い物であったことは確かなようです。
 

現代の価値に換算することでわかった江戸時代の実態!

江戸時代の人の生活は歴史で勉強する分野ではありますが、現在とは価値の基準が異なり、当時の生活を実感することは難しい部分があります。ただ、こうして現在の価値に換算しながら見ていくことで、江戸時代の侍の実態を見ることができ、それが歴史をより深く理解することにもつながります。
 
江戸時代の侍が平均年収500万円程度と、現代人の平均年収とほぼ変わらないのは意外な事実です。こうした実態をさらに深掘りし、歴史に対する理解をどんどん深めていきましょう。
 

出典

日本銀行金融研究所貨幣博物館 お金の歴史に関するFAQ(回答)
 
執筆者:FINANCIAL FIELD編集部