【鬼滅の刃】「竈門炭治郎」の家業の「炭売り」ってどんな仕事? 大正時代の生活って?
配信日: 2022.06.19 更新日: 2024.10.10
炭治郎は鬼殺隊に入るまで、山の奥で代々炭売りをして暮らしていましたが、炭売りとはどのような仕事なのか気になった人もいるでしょう。
ここでは「炭売り」の仕事や、炭治郎が生きた大正時代の生活について説明します。
執筆者:FINANCIAL FIELD編集部(ふぁいなんしゃるふぃーるど へんしゅうぶ)
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「炭売り」の仕事内容と年収
「炭売り」とは、木炭を作って販売する仕事です。木炭は今でこそ生活の中で使うことは少なくなりましたが、明治時代から戦前にかけては火鉢や七輪(しちりん)、こたつなど、炊事や暖房の燃料として日常的に使われていました。
今では野外でのバーベキューの燃料のほか、土壌改良、水質浄化、消臭、鮮度保持などの用途にも活用され、価値を高めています。「炭売り」の仕事は山林で木材を切るところから始まります。
炭焼きに使われる木材はクヌギやコナラ、カシなどの木です。それを自然乾燥させて水分を抜いてから炭焼き窯に並べて蒸し焼きにします。1週間ほどで真っ黒な黒炭が出来上がりますが、備長炭などの白炭をつくる際には黒炭ができた後に窯に空気を入れ、窯の温度を1000度以上に上げて精錬させるため、さらに時間がかかります。
また、黒炭は燃焼時間が1時間から2時間程度なのに対し、白炭は約8時間と燃焼時間が長く安定するため、ウナギのかば焼きや焼き鳥などを提供する飲食店で需要があります。
木炭が出来上がったら、それを町へ売りに行きます。大正時代、木炭は1貫(3.75kg)当たり8銭で取引されていました。炭治郎は炭を背負って運んでいましたが、実際には台車などを使って効率よく運んでいたようです。
なお、炭焼き窯で1回当たりに生産できる木炭の量は150kg。炭焼き窯に入れてから木炭が出来上がるまで10日間かかると仮定しますと、1ヶ月に生産できる木炭は450kgとなります。
これを売ると450÷3.75×8=960となり、1ヶ月当たり9円60銭の収入になります。大正時代の1円は現代の4000円相当のため、「炭売り」の月収は現代の3万8400円となります。「炭売り」の推定年収は46万800円です。
大正時代の農村部は貧しかった
大正時代、都市部で働く大卒サラリーマンの初任給は50円から60円ほどで現代の貨幣価値に換算すると20万円から24万円となりますが、このように高い月収を得られたのは一部の人だけです。
大正9年に旧制大学や旧制専門学校、旧制高等学校、高等師範学校といった高等教育機関に通えたのは2.2%とごく少数です。現代の大学進学率が55%ほどであることを考えますと、いかに少ないかが分かります。
日本で「義務教育」が誕生したのは1886年(明治19年)で、大正時代は尋常小学校の6年間だけでした。小学校の6年間と中学校の3年間が義務教育となるのは第2次世界大戦後の1947年以降です。
『鬼滅の刃』でも炭治郎やその弟妹が大正時代に学校へ通う様子や勉強する様子は描かれておらず、子どもたちは家事や年下の弟妹の世話を手伝って生活をする様子が描かれています。
農村部ではガスや水道・電灯といったインフラがなく、大正時代になっても江戸時代のころと大きく生活が変わらない人も多かったようです。
明治時代に地租改正が行われますと、税金を納めるのが困難になり土地を地主に売り渡して小作人となる農民も増えました。小作人が地主に小作料を納めるスタイルは戦後、農地改革が行われるまで続き、農村部の貧困は深刻でした。
大正時代の「炭売り」の年収は46万800円!農村部は貧しかった
「炭売り」は炊事や暖房器具の燃料となる木炭を生産し、売りに行く仕事です。大正時代の「炭売り」の月収は現代の3万8400円相当と、とても少なかったのですが、現代は生産能力や効率が改善するとともに新たな用途や価値を見出しています。
大正時代に現代と同じ生活水準で暮らせた人はとても少なく、農村部の貧困は深刻でした。貧しい生活ながらも、母親や弟妹と助け合いながら仲良く暮らしていた竈門炭治郎の暮らしが、とても幸せなものであったことが分かるでしょう。
出典
「鬼滅の刃」ポータルサイト
林野庁 木炭のはなし
レファレンス協同データベース▼大正10年頃の1円は現在の何円に相当するのか
炭生館 炭の歴史
文部科学省(補論2)我が国高等教育のこれまでの歩み
アジア歴史資料センター 日本の学校制度~小学校を卒業したら…~
執筆者:FINANCIAL FIELD編集部