【戦国三英傑】「徳川家康」「織田信長」「豊臣秀吉」の年収トップとは?

配信日: 2023.03.18

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【戦国三英傑】「徳川家康」「織田信長」「豊臣秀吉」の年収トップとは?
江戸幕府を開いて260年以上の太平の世を築いた徳川家康。日本初の天守閣付き城郭、安土城を築いて権勢を誇った織田信長。足軽から立身出世して天下統一を果たした豊臣秀吉。
 
いずれも日本人なら誰もが知っているレベルの戦国武将です。もし、彼らの年収を推計したならば、誰がトップなのでしょうか。このページで具体的に検証しています。
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徳川家康の推定年収

江戸幕府を開くにあたって、関ヶ原の合戦の時点で味方だった譜代大名は江戸の近くに藩を与え、味方ではなかった外様大名は江戸から遠方に藩を配置した徳川家康。
 
その本拠地である江戸城は渦巻き状に城壁やお堀を築くことができ、いくらでも外側へ拡大していけることを想定した設計にしていました。そんな江戸初代将軍、家康の直轄領(天領)は、その出身地である中部地方を中心に、全国におよそ400万石あったといわれています。
 
1石は米にして2俵半、つまり約150キログラムで、現在の価値に換算するとおよそ6万円の価値です。つまり単純計算で2400億円相当が毎年、幕府に流れ込んでいたことになります。
 
しかも、直轄領の中には佐渡金山や石見銀山、伊豆の土肥金山など、貴金属を生み出す地域のほか、南蛮渡来品の窓口である長崎もありました。つまり、米以外にもばく大な収益を受け取っていたとみられています。
 

豊臣秀吉の推定年収

豊臣秀吉は、身分が比較的低いところから成り上がったコンプレックスから、資産の形成に懸命になっていたといわれています。家臣の心をつなぎ留めるために、自分の資産を投げ出す大盤振る舞いをすることも珍しくありませんでした。
 
そんな秀吉が支配していた直轄領は、およそ220万石だったとされています。つまり、現代の価値で1320億円の価値です。さらに金山や銀山も保有していたため、おそらく年間の収益は2000億円前後あったのではないでしょうか。
 
そんな秀吉は「黄金太閤」の異名を持っていたとされます。家康や信長と違い、身分の関係で征夷大将軍になれないため、幕府を開く資格もありませんでした。そのぶん、誰よりも金銀財宝を独占することによって、自らの権勢を必死に誇示しようとしていたのかもしれません。
 

織田信長の推定年収

天下統一時、織田信長の直轄領における石高については諸説ありますが、およそ100万石から150万石ぐらいだっただろうと推定されています。現在の価値に直すと、600億円~900億円ほどです。
 
ほかにも金山や銀山を各地に保有していたことから、信長の年間収益は1000億円ほどあったでしょう。しかし、信長が室町幕府を滅亡に追い込んで、天下統一を果たしたことは、その後の秀吉や家康にとっての資産形成の源泉になったことは間違いありません。
 

年収のトップは確かに徳川家康だが……

信長・秀吉・家康で比較したとき、年収のトップは400万石に加えて、当時日本最大級の金山や銀山を支配し、海外との交易の窓口である長崎も握っていた家康であることに異論はないでしょう。
 
しかし、その礎を築いたのは最初に天下統一を果たした信長であり、その資産を秀吉が引き継ぎました。
 
豊臣家を滅ぼした徳川家康は、信長と秀吉という「巨人」の肩に乗ってばく大な資産を築いたという評価も可能です。
 

 
執筆者:FINANCIAL FIELD編集部

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