2024年の「新札発行」で歴史は繰り返す? 1946年に起こった日本での「預金封鎖」を解説
配信日: 2023.09.01
しかし今から77年前のことであり、当時どのような状況だったのか見当がつかないといった人も多いでしょう。新札はなぜ発行されるのか、1946年当時はどのような状況だったのかなどを解説していきます。
執筆者:鳥居佳織(とりい かおり)
FP2級
なぜ2024年に新札が発行されるのか?
2019年4月、財務省は2024年度上期に新デザインの日本銀行券を導入することを明らかにしました。
過去の傾向として、日本銀行券はおおよそ20年ごとにデザインを刷新しています。流通している日本銀行券は2004年から20年が経過し、その期間に民間の印刷技術は飛躍的に進化しました。
国際的にはヨーロッパやアメリカをはじめとした国々が、最先端の偽造防止技術を取り入れた銀行券を次々に発行しています。さらに、ユニバーサルデザインの考え方に基づいて、視覚障がい者や外国人などあらゆる人が使いやすいように考慮されたデザインの銀行券が増えています。
こういった状況に対応して、新しい銀行券のデザインは、偽造を防ぎつつ使いやすさを追求する方針で進められることになり、改刷することになりました。
このような理由で新札発行が決まりましたが、国民のなかには「2024年の新札発行を機に預金封鎖を行うのではないか」といった不安の声も一部に上がっています。
預金封鎖とは
預金封鎖とは国の政策によって銀行の預金の引き出しを制限する、または禁止することです。普段の生活では、ATMや銀行の窓口に行けばお金を自由に引き出して使えます。
しかし預金封鎖が起こってしまうと、お金を引き出せなくなってしまうだけでなく、自身の財産がこの先どのような扱いになるのかも不透明になってしまいます。
預金封鎖はこれまでも世界各地で起きており、以下の国が預金封鎖を実行しています。
●1990年ブラジル
●2001年アルゼンチン
●2013年キプロス
日本も例外ではなく、1946年に預金封鎖が行われました。なぜ日本は預金封鎖することになってしまったのか、当時の日本はどのような状況だったのか見ていきましょう。
1946年に預金封鎖された日本の状況
1946年2月16日に幣原喜重郎内閣は予告なしに新円への切り替えを発表し、17日から預金封鎖が実施されました。
戦後の日本の財政状況は非常に厳しく、通貨の価値が急速に失われる中、悪性のインフレが進行していました。インフレとは物価が上がり続け、通貨の価値が下がり続けることを指します。
この状況を解決するために、政府はいくつかの緊急措置を打ち出しました。主な措置としては、預金の一時的な封鎖や日本銀行券の新旧交換、物資の放出や主要食糧の供給確保などが挙げられます。さらに、政府は経済の安定を図るため、新しい税制の導入を検討しており、そのための財産調査を行う計画が進められました。
この臨時財産調査の目的は、国民の財産状況を把握し、新税の創設の基盤とすることです。調査は全国一斉に行われ、その時期は日本銀行券の新旧交換が完了する日の翌日と定められました。調査では、個人の預貯金だけではなく生命保険や信託の金額、法人では企業の株式や出資証券などの詳細な種類や金額を記載する必要がありました。
政府の当初の考えでは、この調査結果をもとに特別議会で財産税関連の法案を提出し、成立させる予定でした。しかし、予定されていた議会の日程が遅れ、さらに国内の経済状況が急激に悪化したため、計画が前倒しで進行することとなったのです。
さらに日本政府は1946年3月に制定された法律により、一度限りの「財産税」を導入し、財産所有額が10万円を超える国民に対して25%~90%の課税を行いました。
このように1946年に行われた預金封鎖はお金を引き出せないだけでなく、財産調査が行われたのちに財産税が課せられるものとなり、国民は苦しい状況だったといえるでしょう。
まとめ
1946年の預金封鎖は前触れなく発表されたため、多くの国民が混乱と困難に直面しました。現在の日本経済の状況を考慮すると、2024年の新札発行と同時に預金封鎖される可能性は必ずしもゼロではありません。
公式な発表や証拠は現時点で明確ではありませんが、万一に備え過去の歴史から学び、リスクを回避するための対策を検討することは賢明といえるのではないでしょうか。
資産の分散はその一例として挙げられます。具体的には、国内だけでなく海外の金融機関への投資や不動産、貴金属など多様な投資先を検討することで、リスクの回避につながるといえるでしょう。
出典
財務省 新日本銀行券印刷開始式について
執筆者:鳥居佳織
FP2級