「駄菓子屋」の利益は「1割」しかない!? どうやって経営してるの?

配信日: 2022.06.19

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「駄菓子屋」の利益は「1割」しかない!? どうやって経営してるの?
昭和レトロな雰囲気が漂い、ノスタルジックな気持ちにさせてくれる駄菓子屋。しかし駄菓子の仕入れ値は売値の8割で、そこから光熱費などの経費を除くと、駄菓子屋の手元に残るのは売値の1割ほどです。
 
1970年代前半には13万6000軒あった駄菓子屋は2016年には1万5000軒ほどになっています。令和の時代、駄菓子屋はどうやって経営しているのでしょうか。くわしく説明します。
FINANCIAL FIELD編集部

執筆者:FINANCIAL FIELD編集部(ふぁいなんしゃるふぃーるど へんしゅうぶ)

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駄菓子屋全盛期の時代背景

江戸時代に作られるようになったといわれる駄菓子。明治時代中盤には現代でもなじみがあるフーセンガムやキャラメルが誕生しました。明治時代を代表する作家の樋口一葉は、作家として名前が知れ渡る前には東京の下町で日用雑貨や駄菓子を販売する店を営んでいたといわれています。
 
昭和初期には街角に「紙芝居屋」が登場したのですが、紙芝居を見るために子どもは駄菓子を買わなければならなかったのです。第2次世界大戦が起きた1940年代前半には駄菓子が作られない時期もありましたが、戦後、紙芝居屋は第1次ベビーブーム世代の子どもたちを魅了しました。
 
紙芝居屋のほかにも日用雑貨やたばこと一緒に駄菓子を売っている店や、駄菓子を売るだけでなく飲食スペースを設け、軽食を売っている駄菓子屋を見かけた人もいるのではないでしょうか。
 
しかし、家庭にテレビが普及し娯楽が多様化する1970年代には紙芝居屋が姿を消していきます。大型商業施設やコンビニエンスストアが全国に広まった1980年代には、駄菓子屋のみならず個人商店が減っていきました。
 
駄菓子屋の経営が成り立っていたのは、娯楽が少なかったこと、子どもの人数が多かったこと、大型商業施設やコンビニエンスストアが少なかったことなどと関係があるでしょう。
 

令和の駄菓子屋

江戸時代から長く続く、都内にある老舗の駄菓子屋では、1ヶ月の利益が平均3万円ほど。現代で駄菓子だけを売って生活するのは難しいでしょう。持ち家を改装して経費をできるだけ減らすよう工夫するか、ほかに事業を行って節税対策の一環として駄菓子屋を経営するといった取り組みが必要です。
 
駄菓子メーカーや駄菓子問屋も駄菓子が売れるよう企業努力をしています。ある駄菓子メーカーではホームページで駄菓子問屋や駄菓子屋のリストを掲載していますし、駄菓子問屋の中にはネット販売を行っているところもありました。
 
一方、若者たちの間で昭和レトロや平成レトロがブームになっている中、これまでとは違った駄菓子屋ビジネスを行う企業もあります。浅草で観光客向けに人力車体験などを提供する企業では、自治体や企業のイベントで駄菓子の出張販売をしています。
 
一般的な祭りやイベントではイベントの主催者が屋台を出店する人から手数料をとっていますが、この企業ではイベントの演出をする代わりに自治体や企業から料金をもらっているのです。令和の時代に駄菓子屋を展開するには、昭和の時代と違った経営努力が必要だといえるでしょう。
 

昭和とは違った経営努力で成功する例も

個人で駄菓子屋を経営する場合には、駄菓子屋の収入だけで生活するのは難しく、駄菓子屋とは別の収入を確保する必要があります。
 
しかし、自治体や企業のイベントなどで駄菓子の出張販売を行うなど、イベントの演出をすることで収入を得ている企業もあります。昭和の時代とは違ったアイデアや経営努力があれば、令和の時代でも駄菓子屋を経営できるかもしれません。
 

出典

東京新聞 TOKYOWeb 明治の小説家、樋口一葉は世に出る前、東京の下町で駄菓子や雑…
FNNプライムオンライン 平成の間に懐かしの「駄菓子」が消えた…このままなくなってしまう?“駄菓子屋ハンター”に聞いた
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執筆者:FINANCIAL FIELD編集部

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