更新日: 2024.10.11 キャリア
保険会社で「営業」としてキャリアを重ね、そろそろ転職を考えています。就業規則で「退職後6ヶ月」は同業他社への転職が禁じられているのですが、本当に待つ必要はありますか?
それでも競業避止義務が認められる場合もあります。裁判例が積み重ねられ、経済産業省などは丁寧な解説資料を作成しています。安心して同業他社に転職、また開業するための注意点を、裁判例も紹介しながら解説します。
執筆者:玉上信明(たまがみ のぶあき)
社会保険労務士、健康経営エキスパートアドバイザー
従業員の競業避止義務の根拠
従業員が在職中であれば、同業他社と兼業したり、自ら同業の企業を立ち上げたりすることは制約されます。これを「競業避止義務」と呼びます。
そもそも、従業員と使用者(会社)は、労働契約という契約上の関係にあり、契約上の義務が課せられています。従業員の義務として「労働を提供する義務」「会社への誠実義務」というものがあり、「競業避止義務」はこれらに基づくものとされています。
退職後の競業避止義務は限定される
しかし、退職後にも競業避止義務を課すことは、職業選択の自由を侵害することになりかねません。退職後の競業避止義務が認められる要件は、次のように考えられています。
・競業避止義務契約が労働契約として適法に成立していること。すなわち、就業規則や個別の誓約書等で退職後の競業避止義務が定められていること
・守るべき企業の利益があり、競業避止義務契約の内容が目的に照らして合理的な範囲にとどまっていること
この「守るべき企業の利益」と「目的に照らして合理的な範囲」について、裁判の場では、次のポイントで慎重に判断されています(図表1)。
図表1
項目 | 考え方 | 注意点 |
---|---|---|
守るべき企業の利益があること | 技術的な秘密や、営業上のノウハウ等。退職した従業員からライバル会社などに持ち込まれると企業の利益を損なう。 | ちょっとしたノウハウ程度では「守るべき企業の利益」とはいえない。 |
従業員の地位 | 形式的な職位でなく、具体的な業務内容の重要性、使用者が守るべき利益との関わりで判断される。 | 合理的理由なく「従業員全員」とか「特定の地位の者全員」を対象にするのは問題視されやすい。 |
地域的限定があるか | 業務の性質等に照らして合理的な地域に限定されているか。 | 地理的制限がないのは一切ダメ、というわけではない。 |
競業避止義務の存続期間 | 1年以内の期間ならば、認められる例が多い。 | 2年を超えると否定される傾向。会社のノウハウなどの重要性や労働者が受ける不利益の程度も考慮して判断される。 |
禁止行為の範囲 | 業務内容や職種等を限定した規定なら認められることが多い。 | 競業企業への転職を一般的・抽象的に禁止するのは合理性が認められないことが多い。 |
代償措置が講じられているか | 競業避止義務の対価でなくても、それに代わる措置があれば肯定的に判断される傾向。 | 代償措置が何もない場合は、認められないことが多い。 |
経済産業省 秘密情報の保護ハンドブックより筆者作成
具体的な裁判例
保険会社から同業の保険会社への転職というだけで、6ヶ月間の競業避止義務を適用することは認められるのでしょうか。参考になりそうな裁判例を紹介します。なお、引用文は一部改編を加えています。
企業側の守るべき利益
一般的な営業ノウハウ程度ならば、企業側の守るべき利益とは言えません。
経済産業省の「秘密情報の保護ハンドブック」では、競業避止義務の有効性が否定されたものとして次の項目を挙げています。
「原告が業務遂行過程で得た人脈、交渉術、業務上の視点、手法等は、原告が能力と努力で獲得したもので、労働者が転職する場合に、転職先でも使用されるノウハウである。この程度のノウハウの流出を禁止しようとすることは、正当な目的とはいえない」
競業避止義務期間
同ハンドブックでは、保険会社で2年間の競業避止義務期間を認めなかった例も指摘しています。
「保険商品については、近時新しい商品が次々と設計され販売されている。保険業界において、転職禁止期間を2年間とすることは、経験の価値を陳腐化する。期間の長さとして相当と言い難い」
禁止行為の範囲
やはり、保険会社の事例で次のものがあります。
「原告が在職中に得たノウハウはバンクインシュアランス業務の営業に関するもので、当該業務の営業にとどまらず、同業務を行う生命保険会社への転職自体を禁止することは、それまで生命保険会社において勤務してきた原告への転職制限として広範にすぎる」
代償措置
在職時に高い賃金を出す代わりに退職後に競業避止義務を守ってもらう、すなわち在職時の高賃金が退職後の競業避止義務の代償措置であったと認定された裁判例もあります。しかし、これを否定した裁判例もあり、個別の事案で判断が分かれるようです。
退職時にこれだけは注意しよう
以上から考えると、同業他社への転職を6ヶ月間禁じるというのは、企業側の守るべき利益や禁止行為の範囲などの点から、問題と思われます。とはいえ、実際に転職してから元の会社との紛争になるのも避けたいところです。
退職時には、まず根拠となる就業規則や誓約書の内容を正確に把握し、会社に説明を求めましょう。経済産業省の資料等で実際の裁判例も示しながら「同業他社への転職というだけでは競業避止義務に該当しない」と主張してみましょう。
場合によっては、総合労働相談コーナーなど公的相談機関や弁護士への相談を検討するのも一案です。
ただし一つだけ注意点があります。現在の会社の技術的な秘密、営業上のノウハウ、顧客情報などを勝手に持ち出して、転職先に持ち込むようなことは絶対にしてはいけません。不正競争防止法違反となり、自身のみならず転職先まで民事、刑事の責任を問わる可能性があります。
現在の会社に感謝の気持ちを忘れず、新天地で活躍されることをお祈りします。
出典
経済産業省 秘密情報の保護ハンドブック
厚生労働省 競業避止義務の明確化について
執筆者:玉上信明
社会保険労務士、健康経営エキスパートアドバイザー