更新日: 2022.11.02 年収
初代総理大臣「伊藤博文」の年収は「9600円」!現代の総理と比べて高い?低い?当時の物価についても調べてみた!
9600円と4000万円では天地ほどの開きがありますが、明治時代と令和の現在ではお金の価値が異なるため単純な比較はできません。
では、初代内閣総理大臣「伊藤博文」の年収は現在と比べて低いのでしょうか。当時の物価や庶民の月給などから考察します。
執筆者:FINANCIAL FIELD編集部(ふぁいなんしゃるふぃーるど へんしゅうぶ)
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伊藤博文ってどんな人?
伊藤博文という名前は知っていても、実際にどのような経歴であるのか知らない人は少なくないようです。
・伊藤博文はこんな人
伊藤博文は、天保12年(1841年)に現在の山口県で生まれた明治を代表する政治家です。吉田松陰に学び、長州藩の留学生として渡英し、帰国後は高杉晋作らとともに幕府の長州征伐に抵抗します。
その後、明治維新を経て政府の中心的なポジションを確保した伊藤博文は、憲法調査のために渡欧。帰国後の明治18年(1885年)に44歳の若さで初代総理大臣に就任すると、大日本帝国憲法(明治憲法)制定の中心人物として指導に尽力します。
その後、3度も総理大臣に就任した伊藤博文が、4度目の総理大臣退任後に就いた役職は初代韓国統監でした(1905年12月~1909年6月)。伊藤博文でしたが、明治42(1909)年10月、旧満州(現在の中国黒竜江省)のハルビン駅で凶弾に倒れ、68歳でこの世を去りました。
明治時代の物価や庶民の月給はいくらだった?
伊藤博文は、明治18~34年にかけて計4度も総理大臣を務め、通算在職日数は歴代3位の2720日にのぼります。そこで、その間の代表的な物価や庶民の平均的な月給を調べてみました。
・新聞
明治20~25年頃の新聞(朝刊)の購読料は28銭程度でした。現在は3500円前後です。
・鉄道
明治20~25年頃の大阪~東京間の鉄道料金は3円56銭程度です。現在は新幹線自由席で1万3870円、在来線で8910円です。
・米
明治30年頃の米10キログラムの値段は1円12銭程度でした。現在は3000円足らずで購入できます。
・自転車
明治32年頃のアメリカ製の自転車の価格は200~250円程度です。
・ビール
明治34年頃のビール(大びん)の価格は19銭程度でした。現在はビール券(大びん2本)の額面が770円、定価は845円なので420円程度といえます。
・地方公務員の初任給
明治30年頃の学校の先生や警察官の初任給は8~9円程度です。令和2年地方公務員給与実態調査によると経験1年未満の大学卒の平均給料月額は21万5401円です。
・熟練技術者の月給
熟練した技術を持つ大工や工場労働者の月給は20円程度でした。「令和3年賃金構造基本統計調査」による職種別平均賃金(時給換算)における経験20年の建築技術者の時給2293円に、厚生労働省の職業情報提供サイトによる月平均労働時間173時間を単純に乗じた金額は39万6689円となります。
伊藤博文の年収は現在の総理大臣よりも低かった?
総理大臣時代の伊藤博文の年収が9600円だったと聞くと、ずいぶん低く感じられます。ただ、明治時代の物価や庶民の平均的な月給の額から見れば、9600円という年収は決して低いとはいえません。
月の収入が地方公務員の初任給や熟練技術者の月給の40倍だった伊藤博文は、高級車並みの金額だった自転車を毎月4台も買えるほどの収入を得ていたからです。現在の総理大臣の月給は200万円程度のため、高級車を毎月4台も買えません。
つまり、当時と現在の物価や各種月給などを比較した場合、伊藤博文は現在の総理大臣よりも高い年収を得ていたとも考えられるのです。
当時の年収「9600円」は現代よりも高収入といえる
初代総理大臣「伊藤博文」の年収は9600円でした。この金額を聞けば「ずいぶん低い給料で働いていたのだな」と思っても不思議ではありません。
ただ、明治時代と現在では物価や月給などが大きく異なるため、見方によっては現在の総理大臣よりも伊藤博文のほうが高収入であるともいえます。
出典
首相官邸 伊藤博文
国立国会図書館 伊藤博文
公益財団法人 三笠保存会 その頃の日本 くらし
野村ホールディングス・日本経済新聞社 明治時代の「1円」の価値ってどれぐらい?
内閣府 主な特別職の職員の給与
厚生労働省 令和3年賃金構造基本統計調査による職種別平均賃金(時給換算)
厚生労働省職業情報提供サイト(日本版O-NET) 大工
執筆者:FINANCIAL FIELD編集部