更新日: 2023.04.13 年収
【御用改めである!】「新選組」の給与はどのくらい? 近藤勇の年収は「4030万円」!?
そこで、今回は新選組の給与がどのくらいだったのかについて解説します。
執筆者:FINANCIAL FIELD編集部(ふぁいなんしゃるふぃーるど へんしゅうぶ)
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新選組は元の身分を問わない実力派集団
新選組といえば幕末。その新選組の前身である「壬生浪士組」は1863年3月12日、会津藩の“非正規雇用”として誕生しています。壬生浪士組はわずか17名程度の少人数組織でした。その後、隊士を募集して徐々に組織が大きくなっていきます。
・壬生浪士組から新選組に
1863年9月30日、8月18日の政変で活躍した壬生浪士組は功績を認められ、会津藩から新選組という名を与えられました。
ちなみに、新選組とは、元々会津藩に存在していた武芸の実力派が集まった剣客集団の名前です。近藤が局長と呼ばれていたのは、新選組は独立組織ではなく、あくまで会津藩の組織のひとつ、一部局であると考えられていたからです。
・新選組の応募資格は武芸の腕のみ
新選組に入団する際、身分は問われていませんでした。局長の近藤勇自体が元々農民出身、副長の土方歳三の前職業は薬売り、隊士の中でも有名な沖田総司は白河藩の足軽の家に生まれ、永倉新八は松前藩士の家出身、斎藤一は御家人の家出身(諸説あり)です。
このように、新選組隊士の前職はバラバラで、重要視されていたのは武芸に優れていることでした。京での市中警備の際に剣を交える機会も多かったことから、身分は問わなくても武芸の実力は高い人材である必要があったからです。
新選組の平隊士の年収は全盛期で約806万円+α
貨幣博物館のシミュレーションで江戸時代の1両を円に換算したところ、「1両は6万7170円」でした。
江戸時代の米1石(約150キログラム)を1両とします。また、米5キログラム当たりの価格は、厚生労働省が2022年に発表した2023年の「小売物価統計調査(動向編)」からうるち米の相場を算出し、約2239円としました。1両の計算式は「2239円÷5キログラム×150キログラム=6万7170円」です。
・新選組の平隊士の月給は約67万円
新選組の永倉新八が記した「新撰組顛末記」には、隊士の収入についての記述があります。
同書によると、月給は局長50両(335万8500円)、副長40両(268万6800円)、組頭30両(201万5100円)、隊士10両(67万1700円)だったそうです。年収にすると、局長600両(4030万2000円)、副長480両(3224万1600円)、組頭360両(2418万1200円)、平隊士120両(806万400円)になります。こちらが事実だとすれば、新選組は非常に高収入であったといえるでしょう。
ただ、京都の豪商だった両替屋の三井家に残る「新選組金談一件」と呼ばれている書類には、1866年頃の記録として「組頭以上の者は1ヶ月御手当金1人シ両、ほかの者はセ両支給されている」と残されています。
三井家では独自の暗号を使用しており、「シ両は10両」、「セ両は2両」のことです。つまり、組頭(隊長)の月給は67万1700円(年収806万400円)、平隊士の月給は13万4340円(年収161万2080円)だったことがわかります。局長である近藤や副長の土方はこれ以上の年収を得ていたでしょう。
こうした記録を見ると、新選組の収入は徐々に減額されていた可能性があるといえます。
・給料以外にも臨時収入がある
新選組は俸禄(給料)以外にも、活躍すると臨時収入をもらえることがありました。例えば、有名な池田屋事件で、幕府などから報奨金が与えられています。局長・副長など幹部は300両(2015万1000円)、隊士は200両(1343万4000円)でした。
報奨金は年に1回とは限らないため、全盛期は年数回の臨時収入を得ていた可能性もあります。
新選組は平隊士でも高収入だった
江戸時代から幕末にかけて活躍していた新選組の年収は局長・副長など幹部レベルで3000万~4000万円前後、隊長レベルで1000万~2000万円前後、平隊士で800万円前後でした。
それに加えて、活躍した際には報奨金を1人当たり1000万~2000万円得ていたため、平隊士でも年収は1000万円以上だった可能性があるでしょう。
出典
貨幣博物館 江戸時代の1両は今のいくら? 昔のお金の現在価値
総務省統計局 2021年小売物価統計調査(動向編)1001うるち米~1101まぐろ 第一表調査品目の月別価格及び年平均価格 都道府県庁所在地及び人口15万以上の市
執筆者:FINANCIAL FIELD編集部