戦国時代の「侍」と「足軽」はどう違う? 待遇や働き方、出世の方法を解説

配信日: 2025.03.29

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戦国時代の「侍」と「足軽」はどう違う? 待遇や働き方、出世の方法を解説
戦国時代のドラマや小説に登場する、侍と足軽は何が異なるのでしょうか? 侍は馬に乗って戦っていたり、足軽はやりや鉄砲を持ち集団で戦っていたりするくらいのイメージはあるものの、具体的な違いといわれるとよく分からない人も多いのではないでしょうか。
 
侍も足軽も時代によって意味が異なりますが、本記事では戦国時代の侍と足軽の違いやそれぞれの待遇、働き方、出世の方法を紹介します。
山根厚介

執筆者:山根厚介(やまね こうすけ)

2級ファイナンシャルプランニング技能士

戦国時代の侍と足軽の違い

侍とは、もともと貴族や武家に武芸で仕えた人を指し、その後上級武士を意味するようになりました。しかし、身分の変動が激しい戦国時代では、武士全般を指すようになります。
 
足軽は、武士と農民の間に位置する身分の低い兵士を指します。もともと足軽は、軽装で放火などのゲリラ戦を行う傭兵(ようへい)でした。しかし、戦国時代に入ると集団戦が戦の中心となり、足軽は長やり・弓・鉄砲といった足軽隊の兵力として組織化されるようになります。
 

侍と足軽の待遇や働き方の違い

侍と足軽は、待遇や働き方ではどのような違いがあるのでしょうか。侍は、主君から土地を与えられて、その土地から収入を得ます。そして、主君から土地を与えられた「御恩(ごおん)」に対して「奉公」するため、主君のために戦わなければなりません。
 
逆にいえば、十分な御恩がなければ奉公しなくてもよいという考えになり、後ほど説明するように主君を変える侍が出てくる理由になります。
 
足軽は、傭兵のように臨時で雇われる場合が多かったようです。ただし、時代が下るにつれて、織田家のように職業軍人として雇われる足軽も増えました。いずれにしても、足軽の待遇はそれほどよいものではありません。
 
その代わり、足軽は戦で勝つと「乱捕(らんどり)」と呼ばれる略奪が認められ、手柄にすらなっていました。乱捕は、食料や財産だけでなく人も対象で、さらわれた人は奴隷となり人身売買される存在でした。中には、南蛮貿易ルートで海外に売られた人もいます。
 
有名な「大坂夏の陣図屏風」には、乱捕の様子が生々しく描かれています。乱捕は現代の感覚では理解しがたい部分もありますが、力が全てを決める時代ならではの風習です。
 

侍や足軽が出世するには

戦国時代は戦が多いため、侍も足軽も戦で功績を上げることが出世への近道でした。そのため、能力があれば、身分の低い足軽からでも出世の可能性がありました。
 
その代表が豊臣秀吉です。若いころの記録が少ないため諸説ありますが、織田信長に仕え始めたときは「小者(こもの)」と呼ばれる身分だったとされています。小者は武士に仕えて雑用を行う人で、足軽ではありませんが、足軽と同等クラスの低い身分です。
 
ほかにも、津藩32万石を築き上げた藤堂高虎(とうどうたかとら)も、もともとは足軽でした。藤堂高虎は主君を何度も変えた人物としても有名です。藤堂高虎のように、戦国時代は家臣が主君を見限ることは珍しくなく、働きに応じた待遇がなければ別の主君に仕えるのが当たり前の時代でした。
 

まとめ

戦国時代の侍は武士を指し、足軽は身分の低い兵士を指します。侍は主君に仕えて主君のために戦う一方、足軽は傭兵のように臨時で雇われるケースも多かったようです。
 
戦国時代は、侍も足軽も戦で功績を立てると出世が可能でした。真の実力主義社会ともいえますが、失敗すれば死が待っています。チャンスは多いものの、格段に厳しい世の中だったことは間違いないでしょう。
 
執筆者:山根厚介
2級ファイナンシャルプランニング技能士

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