更新日: 2023.10.19 その他暮らし
インフレーションとデフレーション その5 2000年代の日本のデフレ
政府と日本銀行は、ほぼ一貫して金融緩和政策を続け、その結果、普通預金の金利がほぼゼロという状況となりました。また、政府は景気刺激策として1990年代から公共投資中心の財政出動を繰り返しましたが、それにより2012年における政府の債務残高は国内総生産(GDP)の2.1倍に達しました。
これは日本にとって戦後初めてのデフレということになりましたが、今回はその原因について分析します。
執筆者:浦上登(うらかみ のぼる)
サマーアロー・コンサルティング代表 CFP ファイナンシャルプランナー
東京の築地生まれ。魚市場や築地本願寺のある下町で育つ。
現在、サマーアロー・コンサルティングの代表。
ファイナンシャル・プランナーの上位資格であるCFP(日本FP協会認定)を最速で取得。証券外務員第一種(日本証券業協会認定)。
FPとしてのアドバイスの範囲は、住宅購入、子供の教育費などのライフプラン全般、定年後の働き方や年金・資産運用・相続などの老後対策等、幅広い分野をカバーし、これから人生の礎を築いていく若い人とともに、同年代の高齢者層から絶大な信頼を集めている。
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早稲田大学卒業後、大手重工業メーカーに勤務、海外向けプラント輸出ビジネスに携わる。今までに訪れた国は35か国を超え、海外の話題にも明るい。
サマーアロー・コンサルティングHPアドレス:https://briansummer.wixsite.com/summerarrow
2000年代のデフレの主な原因
2000年代に日本で起こったデフレの原因は複数ありますが、以下に主な要因を挙げます。
バブル崩壊後の不良債権問題
1990年代初頭に日本のバブル経済が崩壊し、多くの金融機関が大量の不良債権を抱えました。この問題によって金融機関は貸し出しを制約し、経済活動が低迷しました。また、銀行の貸し出しが減少することで企業や個人の支出が抑制されて、需要が減少しました。
長期デフレ予想の影響
バブル崩壊後、日本経済には長期にわたってデフレの懸念が広まりました。消費者や企業は物価の下落を予想し、将来の需要の縮小を恐れて消費や投資を控えました。これにより需要が減少してデフレが継続しました。
不十分な財政出動
政府はデフレ対策として財政出動を行いましたが、その規模や効果は不十分であったとされています。景気対策としての公共事業や減税措置が遅れ、需要の喚起が十分に行われなかったため、デフレの打開には至りませんでした。
人口減少と高齢化
人口減少と高齢化もデフレの要因とされます。人口の減少によって需要が減少し、企業の収益や投資が低迷しました。また、高齢化で消費の構造が変化し、消費を抑制する要因となりました。
こうした要因が組み合わさることで2000年代に日本ではデフレが継続し、物価の下落が消費や投資の減少を引き起こして、それがさらなる物価の下落をもたらす「デフレスパイラル」が形成されました。
この状況は、政府や日本銀行が積極的な金融政策や構造改革を実施することで、ようやく終息に向かったとされています。
デフレの状態や程度とは?
デフレとは、一般的に消費者物価の年間上昇率がマイナスとなる状態を指します。つまり、デフレが進行している場合、物価水準が下落していることを意味します。
デフレの具体的な「しきい値」(境目となる値)は一定ではありませんが、一般的には年間の消費者物価指数(CPI)がマイナス1%未満の場合、デフレ状態といわれます。ただし、デフレの程度はその時の経済状況や地域によって異なるため、数値で固定できるわけではありません。
また、デフレは一時的な現象や一部の商品に限定される場合もあります。経済学者や政府機関は、統計データや価格指数などを継続的に分析し、デフレの状態を評価しています。
次回はデフレの原因について、さらに掘り下げて説明します。
執筆者:浦上登
サマーアロー・コンサルティング代表 CFP ファイナンシャルプランナー