参勤交代にかかる費用は現代でいうとどれくらい? お金がないことを理由に断ることはできたの?
配信日: 2024.06.30
では、お金がないことを理由に参勤交代を断ることはできたのでしょうか? 詳しく解説します。
執筆者:FINANCIAL FIELD編集部(ふぁいなんしゃるふぃーるど へんしゅうぶ)
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参勤交代1回の値段
加賀100万石の前田家には、「文化五年御帰国の御入用銀」という支出記録があります。これは文化5年(1808年)に江戸から金沢へ戻る際の旅費の詳細です。
この記録によると、総額は「銀三百三十二貫四百六十六匁(もんめ)余」、約5500両に相当します。その内の人件費が「御供人への被下(くだされ)金」であり、帰国に随行した藩士の手当の総額は741両余でした。
1両を現代の価値で約10万円とすると、帰国の総経費は約5億5000万円、人件費は約7410万円です。
参勤交代を断れる?
大名は参勤交代を断ることはできなかったといわれています。参勤交代は将軍への忠誠を示すものであり、大名が領地に留まって力を付けることを防ぐための制度です。そのため、財政的な困難を理由に参勤交代を拒否することは認められていませんでした。
興味深いことに、参勤交代は幕府による強制ではなく、大名たちが自発的に江戸に赴くことから始まったといわれています。関ヶ原の戦い以降、大名たちは自らの忠誠を徳川家康に示すために江戸を訪れたのです。徳川家もこれを歓迎し、江戸に屋敷地を与えるなどして大名をもてなしました。この風潮は家康の時代から始まり、江戸に多くの大名屋敷が建ち並ぶようになりました。
この自発的な参勤が幕府の制度として確立されたのは家光の時代からです。当初、家康を恐れるか慕うかした大名たちが自発的に行っていた参勤が、次第に他の大名たちにも広まり全ての大名が江戸に赴いて挨拶や御礼をするようになりました。このように、参勤交代は徐々に制度化されていきました。
制度化されたことによって参勤交代は大名にとって重大な負担となり、その経済的影響は深刻であったことが理解できます。
参勤交代が藩財政に及ぼした悪影響のエピソード:庄内藩の例
庄内藩(現在の山形県鶴岡市を中心とする藩)では、参勤交代の途中で旅費が底を突くという深刻な財政難に見舞われました。
庄内藩の藩主を務めていたのは酒井家で、多くの大老・老中を輩出した名門譜代大名です。初代藩主の酒井忠勝(さかい・ただかつ)が元和8(1622年)に庄内藩を治め始めてから、廃藩置県(明治4年/1871年)までの約250年間、一度も転封を経験しなかった稀有な藩でした。
しかし、藩主が幕府の要職に就くことが多かったため江戸時代中期にはさまざまな出費がかさみ、財政難に陥ることが度々ありました。財政悪化が目立ち始めたのは、4代藩主の忠真(ただざね)のころです。
旅費が尽きるというエピソードは、7代藩主の忠徳(ただあり)の時代に起こりました。江戸で生まれ育った忠徳が18歳で初めて領地に戻ることになりました。しかし、江戸藩邸では大名行列の旅費を調達する見込みが立たず、幹部たちは見切り発車で江戸を出発しました。不足分は領地が工面して旅の途中に届ける予定でしたが、福島まで来たところで旅費が尽き、領地からの資金も届かないという事態に陥りました。
この窮状を幹部が忠徳に打ち明けると、忠徳は「14万石の藩がこのような経済的困難に陥るとは」と涙を流したとされています。最終的に、忠徳は資金が届くまで福島で足止めを余儀なくされました。
参勤交代は大名にとって大きな経済的負担だが断ることはできなかった
参勤交代は、江戸時代の大名にとって大きな経済的負担であり、現代の価値で数億円にも上るとされています。
参勤交代の費用は想像を絶するほど高額であり、当時の大名は財政的な困難を理由に拒否することはできませんでした。当時の大名にとっては家の存続にかかわるほどの重大な問題だったのです。
執筆者:FINANCIAL FIELD編集部
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