時代劇でよく見る「大名」「殿様」「将軍」はどう違う? 意外と支出が多くて「赤字」だった? それぞれの懐事情とは

配信日: 2025.03.12

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時代劇でよく見る「大名」「殿様」「将軍」はどう違う? 意外と支出が多くて「赤字」だった? それぞれの懐事情とは
「大名」「殿様」「将軍」は時代劇などでよく出てきますが、それぞれ何が違うのでしょうか。なんとなく将軍が偉そうな感じはしますが、大名と殿様になるとどう違うのかよく分からないという人も多いかもしれません。
 
本記事では、江戸時代の大名・殿様・将軍の違いや、それぞれの偉さ、裕福度の比較をしてみました。
山根厚介

執筆者:山根厚介(やまね こうすけ)

2級ファイナンシャルプランニング技能士

将軍とは

ここでいう将軍とは、「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」の略称です。もともとは古代に「蝦夷(えみし)」を征討する指揮官のことでした。
 
しかし、中世になり武家が世の中を支配するようになると、征夷大将軍は武家のトップを意味するようになります。江戸時代は、徳川家が代々将軍を務めていました。
 

大名とは

大名とは、江戸時代に将軍に直接仕えた石高1万石以上の武家のことです。大きな大名の家臣の中にも石高1万石以上の人はいましたが、将軍には直接仕えていないため大名とは呼ばれません。
 
大名とはいっても、1万石程度の小大名から、加賀前田家のように120万石の大大名までさまざまです。江戸中期以降の大名の数はおおむね260家前後で、もっとも数が多いのは1万~3万石の小大名でした。
 

殿様とは

殿様は、大名や旗本(はたもと)など身分の高い武家の敬称です。先ほど説明した大名と区別するために、この記事では旗本のことを殿様として説明します。
 
江戸時代の旗本とは、将軍に直接仕えた武士のうち、石高1万石未満の人です。徳川家の武力を物語る「旗本八万騎」という言葉がありますが、実際の旗本は5000人くらいで、「八万騎」は旗本の家臣なども含めたもののようです。
 
ちなみに、旗本と間違えやすい存在で「御家人(ごけにん)」という人々もいました。旗本のように将軍に仕える武家ですが、旗本は将軍に直接会えるのに対して、御家人は直接会えないという違いがあります。
 

将軍・大名・旗本(殿様)では誰が偉い?

将軍・大名・旗本は、基本的に石高が多いほうが偉いと考えてよいでしょう。大名は1万~120万石、旗本は1万石未満だったのに対して、将軍家の石高は約700万石で圧倒的です。したがって、将軍>大名>旗本の順に偉いことになります。
 
ただし、中には例外もあります。例えば、忠臣蔵で有名な赤穂藩浅野家と吉良家の関係です。浅野家は石高5万3000石でしたが、吉良家は4200石しかありませんでした。石高だけで考えると吉良上野介が浅野内匠頭を侮辱などできないように思えます。
 
しかし、吉良家は「高家(こうけ)」と呼ばれる儀礼をとりしきる役職で、大名並の待遇でした。吉良上野介が浅野内匠頭を侮辱できたのは、このような吉良家の特殊な立ち位置ゆえだったといえます。
 

将軍・大名・旗本(殿様)の懐事情

将軍・大名・旗本の懐事情も、基本的に石高順と考えてよいでしょう。時代によって違いはありますが、1石の価値を27万円と仮定すると、それぞれの年間収入は以下のようになります。


・将軍家:1兆8900億円
・大名:27億~3240億円
・旗本:~27億円

こうしてみると、余裕のある生活ができるように思えます。
 
しかし実際は、大名といえども懐事情は楽ではなかったようです。参勤交代や、公共工事を負担させられる御手伝普請(おてつだいぶしん)などによる出費が大名家を苦しめました。膨大な領地をもつ幕府でさえも、江戸時代中期以降は赤字が常態化していたようです。
 
旗本クラスになるとさらに大変でした。彼らの給与は基本的に固定制で昇給がないため、時代が下るにつれて、上がる物価に耐えられず、借金漬けの生活になることも多かったようです。
 

まとめ

将軍は武家のトップで、大名と旗本(殿様)は将軍に仕える存在ですが、石高によって呼び方が異なります。偉さや豊かさは基本的に石高順です。
 
石高が少ない旗本は、苦しい生活を強いられる家も少なくなかったようです。しかし、大名も参勤交代などで出費が多く、それほど楽な経済状態ではありませんでした。そうした裏事情を知ると、時代劇などを見る目がまた少し違ってくるかもしれませんね。
 

出典

レファレンス協同データベース 【加賀百万石】などの,江戸時代の1石(こく)は,現代の何円か。
 
執筆者:山根厚介
2級ファイナンシャルプランニング技能士

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