更新日: 2022.11.02 年収
【江戸の華!?】江戸時代の「火消し」はどんな組織?いくら稼げたの?
当時は商店も町人の家屋も木造、しかも江戸の町人の住宅は隣同士がつながった「長屋」が主流で、それが江戸の大火を起こす原因になったといわれています。そういった事情もあり、江戸の「火消し」は非常に重要な仕事でした。
そこで、本記事では江戸時代の火消しに注目し、年収や仕事内容などについて解説します。
執筆者:FINANCIAL FIELD編集部(ふぁいなんしゃるふぃーるど へんしゅうぶ)
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江戸時代の火消しの4つの組織
火事が多かった江戸時代の火消しは、花形といってもよい人気の職業でした。当時、江戸の火消しには4つの組織が存在していたことがわかっています。
・奉書火消
奉書火消(ほうしょびけし)は、江戸幕府の3代将軍家光が1629年に組織として作った江戸初の火消しでした。
奉書とは、将軍からの指示を記した文書のことです。奉書火消とは、将軍からの命令書を受け取った大名が火事の度に消火活動を行っていた組織を指します。当時は参勤交代で大名が江戸に滞在していたため、そういった大名たちが消火を担当していました。
・大名火消
さらに家光は1643年、6万石以下の16の大名の家臣で構成された大名火消(だいみょうびけし)を作りました。馬に乗った火事装束の武士とその部下たち、消火活動をするための足軽でできた組織です。ただし、大名火消は多くの場合、江戸城や大名屋敷の火消しを担当していました。
・定火消
10万人以上の被害者が出た明暦の大火(1657年)の後、幕府は火事が起こりにくいように道幅を広くしたり、火事になっても火がまわりにくいように土手や空き地を作ったりしました。
さらに、4代将軍家綱が4人の旗本に命じ定火消(じょうびけし)という消防組織を飯田橋や市ヶ谷、お茶の水、麹町に消防署の元祖ともいえる屋敷を作っています。それぞれの屋敷では、消火活動専用の役人と火消たちが常駐していたため、火事が発生したときはすぐに出動することも可能でした。
・町火消
1718年になると、町人のための消防組織である町火消(まちびけし)ができました。作ったのは南町奉行の大岡忠相です。時代劇などに登場する火消しはこの町火消で、当時の江戸には「いろは48組」という“火消しチーム”が存在していたことがわかっています。
江戸時代の火消しは町に雇用されていた
江戸時代に花形職といわれていた火消しは、ボランティアではありませんでした。では、雇い主は誰だったのでしょうか。
・雇用主はそれぞれの町
町火消の運営は、各町によって行われていました。トップに立っていたのは町奉行です。給料は火事の有無にかかわらず、きちんと定期的に支払われています。町火消は、普段は力仕事をこなす大工などが雇われていました。
消火活動をする際に身につけた半纏(はんてん)や股引(ももひき)なども支給されており、特に半纏は各組や火消しの階級によって図柄を変えるといったこだわりまであったことがわかっています。
・火消しの給料は月収数万円
給料は各町で異なりますが、基本的には「月収(数万円)+出勤手当(数千円)」でした。
火消しには階級があり、上から火消しトップの「頭取」、いろは組の各組のリーダー「組頭(もしくは頭)」、組のシンボルである纏(まとい)を持つ係「纏」、梯子(はしご)を持つ係「梯子」、平社員にあたる「平人」という構成です。
給料は平人で450~800文(約1万1250円~2万円)、組頭以外で最も階級が高い纏でも2~3貫文(約5~7万5000円)でした。火消しが命がけの仕事であることを考えると、高収入とはいえないでしょう。
ただ、火消しは普段はとび職・大工などの仕事を本業としている人が多く、本業は高収入です。
1ヶ月で25日程度働いていたと仮定します。江戸時代の町人の日給が約300文(約7500円)、平均月給は約7500文(約18万7500円)です。とび職・大工の平均日給が約540文(約1万3500円)、平均月給が約1万3500文(約33万7500円)と2倍近くの高さとなっています。早朝から仕事をしたり、労働時間が長くなったりすることもあったため、1日で1000文(約2万5000円)を得る日もありました。
火消しは月収数万円で正式雇用されていた
江戸時代の火消しは、階級が最も下の平人で月収1~2万円でした。当時の町人の平均月収よりは高いものの、命がけの作業を行うことを考えると決して高収入とはいえないでしょう。
ただ、火消しは本業の仕事であるとび職・大工などで日給1万円以上を得ているため、そちらの収入も合わせれば、結果的に高収入の部類といえます。
出典
東京消防庁 江戸三大火
東京消防庁 江戸の火消
執筆者:FINANCIAL FIELD編集部