石川啄木「働けどわが暮らし楽にならざり」から100年…現代日本の“所得・生活水準”はどれほど変わった? 今もなお「生活が苦しい」理由とは
当時と時代は大きく変わったものの、今なお啄木のこの短歌に共感を覚えるという人もいるのではないでしょうか。あの時代と比べて、現代の私たちの暮らしは楽になっているのでしょうか。
本記事では、当時の経済状況を現代と比較したうえで、啄木という人物像についても掘り下げながら、この歌に表されている背景について考えていきます。
FP2級、WEBライター検定3級、情報処理安全確保支援士、ネットワークスペシャリスト
石川啄木の有名な短歌と時代背景
啄木の短歌「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざり ぢつと手を見る」は、明治43年(1910年)に刊行された歌集「一握の砂」に掲載されました。
この時代、日本は日露戦争(1904~1905年)の勝利後に工業化が進み、都市部には多くの労働者が集まりました。しかし、労働条件は過酷で、長時間労働や低賃金が一般的でした。
一人あたり国民所得などの正確な統計データは残されていませんが、1910年前後の農家・非農家の一人あたり実質所得は、年間で農家602円、非農家1024円とされます。
当時の物価や生活費を考慮すると、収入の多くが食費や住居費に消え、貯蓄はほとんどできなかったと考えられます。また、健康保険や年金制度などは未整備で、病気や失業は即座に生活の危機を招くものでした。
こうした背景が、「働けどくらしが楽にならない」という感覚に直結していたのです。
あれから約100年、私たちのくらしはどう変わった?
現在の日本の実質国民所得は明治末期と比べて飛躍的に向上しています。2023年の一人あたり国民所得はおよそ352万円で、電気・水道・ガスといったインフラは全国に整備され、冷蔵庫や洗濯機などの耐久消費財も一般家庭に普及しています。また、社会保障も整備され、失業時のセーフティネットも存在します。
とは言え、「生活が楽にならない」と感じる人がいるのも事実でしょう。非正規雇用の増加、都市部の住宅費や教育費の高騰、老後資金への不安などがその原因です。物質的には豊かになった一方で、将来の見通しが立てにくい社会環境は、啄木の短歌に通じる閉塞感を生む側面もあります。
勤勉とは限らなかった? 石川啄木の人物像
石川啄木は1886年、岩手県に生まれました。文学への情熱は強かったものの、定職に長く就くことはなく、教師や新聞記者など職を転々とし、生活は放蕩的で、借金を繰り返し、稼いだお金の多くを遊郭などに使ったとされます。友人や知人に援助を求めることもしばしばあったようです。
「はたらけど……楽にならず」という状況には、啄木個人の生活態度も影響していたと考えられます。ただし、当時の庶民生活の厳しさという社会的背景も無視できません。短歌の中には、啄木自身の困窮だけでなく、時代全体の生活の厳しさが反映されているのです。
まとめ
啄木の短歌が生まれた1910年前後、日本の生活は賃金・物価・労働環境・社会保障の全ての面で厳しい状況にありました。その後約100年で、実質国民所得は飛躍的に向上し、インフラや社会保障も整備されました。しかし、現代でも人々が「生活が楽にならない」と感じる背景には、経済格差や将来不安など新たな課題が存在します。
啄木の歌は、当時の厳しい生活を物語ると同時に、時代が変わっても人々が抱く不安や閉塞感の普遍性を伝えているのです。
出典
独立行政法人労働政策研究・研修機構 日本労働研究雑誌 2007年5月号(No.562)
内閣府 国民経済計算年次推計 結果の概要 2023年度年次推計
執筆者 : 金田サトシ
FP2級、WEBライター検定3級、情報処理安全確保支援士、ネットワークスペシャリスト
