人生100年のビジョンマップ:心もお財布も幸せに生きよう!PART3
マネーセラピスト・安田まゆみさんに聞く (4) 介護別居、認知症のお母様と向き合う
Interview Guest : 安田まゆみ(マネーセラピスト)
配信日: 2018.04.29 更新日: 2019.01.11
この対談企画では、様々な分野の方にお話しをお聞きし人生100年時代のビジョンを読者のみなさんと作り上げていきたいと考えています。
今回はマネーセラピストの安田まゆみ様にお話しを伺いました。今回が最終回です。
Interview Guest
CFP認定者(国際資格)、1級ファイナンシャルプランニング技能士(国家資格)、NLPプラクティショナー、カラー心理カウンセラー。1955年、東京生まれ。
大学卒業後、雑誌編集者、外資系損害保険代理店を経て、96年からファイナンシャルプランナーとして活動を開始。
同時に有限会社マイプランニングオフィスを設立し、代表に就任。現在に至る。家計管理の相談の他、離婚後のお金相談も多く携わってきた。
近年は、老後不安からの老後マネー相談をはじめ、両親の「相続対策」「認知症対策としての任意後見契約」「老後の財産を守る個人信託」などの相談がかなり多くなってきている。
「元気が出る お金の相談所」所長、「一般社団法人エンディングメッセージ普及協会」理事長、「有限会社マイプランニングオフィス」 代表取締役。
interviewer:山中伸枝(やまなか のぶえ)
ファイナンシャルプランナー(CFP)
株式会社アセット・アドバンテージ 代表取締役
1993年米国オハイオ州立大学ビジネス学部卒業。メーカーに勤務し、人事、経理、海外業務を担当。留学経験や海外業務・人事業務などを通じ、これからはひとりひとりが、自らの知識と信念で自分の人生を切り開いていく時代と痛感し、お金のアドバイザーであるファイナンシャルプランナーとして、講演・相談・執筆を中心に活動。
辛い時期を過ごす
山中 安田さんってご夫婦それぞれが介護もされているんですよね。
安田 ここ最近は、特に心身知に大変でした。お義母さんは89歳になりますが、10年前にアルツハイマーを発症したんです。当時は義父が79歳でまだ存命でしたが、体調が悪く病院に通っていたんです。義母は、帯状疱疹を患って、動けない。ごはんが作れない。義父は、俺の飯はどうするんだと責める。
認知症を発症しているから、いろいろなことを忘れ始める。そこでまた義父が怒る。というようなことを繰り返していたのではないかと、その当時のことを夫と推測しているのですけど。私たちが義母がアルツハイマー型認知症だと知ったのは、ある時お義母さんが、お義父さんが具合が悪いから夫に来てくれないか?っていう電話を一日に3回掛けてきたときです。
それも毎回、初めて電話してきたかのような調子だったそうで、あーこれおかしいねって夫と話しあって、義母のかかりつけの医者に聞きに行きました。そこで初めて、アルツハイマーだということが分かりました。私も仕事柄、老後のリスクマネジメントに携わっていますから、認知症についてある程度の知識はありましたが、まさか、あのしっかり者の義母が、と現実を受け入れられませんでした。
当時はまだ、お買い物に1人で行けましたから、お金の管理もできていました。だから、忘れっぽくなっているだけだろうという淡い期待もありました。
問題は、義父でした。義母が認知症であることを告げてもお義父さんはそんな馬鹿な事があるはずないって怒りだしちゃって、「お前がしっかりすれば済むことだ!」とお義母さんを責めるんですよ。私たちは近くには住んでいましたが、同居はしていないから、ずっと義母といることはできません。
仕事もしていますから。義父の体調に悪さと義母の帯状疱疹の後遺症と認知症が重なって、最悪な状況だったと思います。その時期を2人だけで暮らしていたんです。
どちらにとっても、辛い時期だったことだと思います。今でも、申し訳なかったと悔やんでいます。義父は沖縄の出身で沖縄戦の時に被弾。左の耳があまり聞こえていませんでした。高齢になるに従い、両方の耳が聞こえづらくなっていましたので、医者との話も付き添いが必要になっていました。
認知症と知らなかったので、義父の病院通いも認知症の母に任せていたのですが、認知症と分かってからは、私が義父と義母を連れて病院通いが始まりました。病院は込み合って、予約していても、2時間待ちは当たり前。義父はそれが待てない。怒り出すわ、どこかに行ってしまうわで、ホントその頃は大変でした。
感動したのは、認知症になっても、人生哲学的なものは忘れていないことですね。
山中 もし10年前に戻るとすると、何をしますか?
安田 えー、どうでしょうね。今は、認知症のこともだいぶ解明されてきていますから当時とは事情が違いますけど、やっぱり介護の知識を身に着けるっていう事じゃないですか。身体介護も含めて。
認知症の知識は、書物を読めば、ある程度はわかりますし、やってはいけないこともわかりますが、身体介護の方は、実践していないと身につかないのだということを今、痛感していますよ、本当に。認知症の人との付き合い方は、看護師の妹の助言を参考に、義母を観察しつつ学びつつトライアンドエラーでやってきました。
義母を見て、学んだことは、認知症であっても感情はあるってことです。美味しい、楽しい、嬉しい、やりたくないなど。10年たった今もです。感動したのは、認知症になっても、人生哲学的なものは忘れていないことですね。
びっくりしました。つい2~3年前までは、人生のの悩みなどには、答えられたんですよ。「そんな風に思ってはダメよ」とかね。でもちょっと前に言った事は忘れてる(笑)。アンバランスなところが、アルツハイマーの特徴なんでしょうかね。お義父さんが亡くなった後は、夫が泊まり込むようになりました。やっぱり最初は徘徊を心配したからですね。
で、すぐに施設を考えたんです。でも当時はまだお義母さんはまだら状態で、お金の管理はできないけれども、お買い物に行っても戻ってこれた。そんな状態で施設に入れちゃかわいそうだ。でも徘徊して車に撥ねられたらどうするんだって、考えも行ったり来たり。相当夫婦で悩みました。
でも、そんな所に入れる場合じゃないな、って彼も腹を括って、一緒に住むって決断しました。やっぱり一人にしてボーっとすると良くないので、デイサービスに週に4日、最終的には、6日も通ってもらって、人とのかかわりを絶やさないようにして行きました。
要介護2ですから、介護保険適用外の部分も多かったですが、認知症が進むのは避けたかったんですよ。旅行に行ったり、美術館や音楽会に行ったり、うちの母と仲良しなのでバーバーズのランチ会とか、色んな刺激を与え続けてきました。
でもさすがに発症から10年も経つと、限界点みたいなところがあるんでしょうかね。表情が乏しくなって、一緒におしゃべりしなくなって。膝も悪くなって、シルバーカーを押すようになっていたんですけど、2月に入って歩けなくなったら、もう急な坂を一気に下ったなっていう感じでした。
車いす生活が始まったのは良いのですが、歩けないのに、トイレに行こうとして、車いすを降りようとし始めるんです。もう、目を離すことができなくなりました。それに排泄の世話も働きながらでは、オンタイムでトイレに連れていくことができません。
夫の介護の負担も多くなったので、3月初旬に老人ホームに入居してもらいました。去年からホーム探しをして、11月の終わりに夫の弟と一緒に見て。まぁ一ここがいいねっていうのが決まって、申し込んでいたんですよ。
その時3人待ちだって言われて、夏までには入れそうだねって言っていたのですが、そうこうしているうちに歩けなくなっちゃって。
で、ちょうどラッキーな事に、歩けなくなったころに、3月には入居可能との連絡が来て、心から、ホッとしました。かなりショートステイのお世話にもなりましたが、入居までの1週間がすさまじく大変でした。夜中はオムツをしているんですけど、寝てる間にかなりたっぷり出るので、尿取りバッドをしていても貫通。
夫は毎朝5時に起きて母親の下の世話をして着替えさせて洗濯。それを繰り返していました。やっぱり限界でしたね。
でも、そんな生活をしていたにもかかわらず、膝の注射で医者に行くたびに、夫は、医者に、治る可能性はあるのかと聞いていました。歩けさえすれば、まだ家で看ることができるのになぁって、何度か言っていました。
う~ん、実の親子と嫁の違いでしょうかね。私は夫をこの介護の状況から早く解放してあげたかったんですけどね。まだ、やれることはあるんじゃないか、って彼はそう思っていたんですね。
山中 介護の問題ってお金の問題って思っている事が多いんですけど、正直お金の問題は大した事ないですよね。むしろ日々のそういうことの方が本当に大変なんですね。
安田 そうですね。お金の問題も、ですが、介護する側の肉体的精神的な負担をいかに軽くすることかが大事ですね。私の場合は、介助の仕方を覚えることが大事でした。
介護というよりも介助。脚の踏ん張れない人をどうしてあげるかとか、どこを持ってあげたら、本人も痛がらないで抱え上げられるかとか、寝たきりの人にどうオムツをしたらいいのかとか。
山中 そういうのはやっぱり習っておいた方がいいですか?
安田 習っておいた方がいいです。色々ネットを見れば、膝を曲げるだけで意外に楽にできる方法とかって出ているんですけど、知らない時はもう汗だく、必死。
山中 そうですよね、また介護されると側もきっと大変ですよね。
安田 大変だと思う。本当にお義母さんに悪い事したと思う。このお姑さんが非常にいい人で、嫁姑で嫌な思いをした事が一度もないんですよ。
だから、おむつの取り換えだとか、とても下手でお義母さんにすっごい申し訳なさで一杯なんですけれども、ありがとうありがとう。って言ってくれるんですよ。謝りたいのは、こっちなので、スミマセン…って。痛い想いをさせてごめんなさい、みたいな、本当に申し訳なくって。
毎日を楽しんで、気づいたら100年
山中 安田さんは、人生100年をどうお考えになっていますか?
安田 実母と義母と夫が生きている間はボケられないな、死ねないなっていう、一つそこがゴール。だから、100年生きるとかはあまり考えていないですね。まずは体づくり。だからジムに行って運動しようとおもってます。さらに病気の予防をしていくために、アルツハイマーの検査をしました。
ベータアミロイドの蓄積具合もウォッチングしていますし、アンチエイジング科でアメリカのサプリメントを処方してもらっています。とりあえず義母が89歳、実母が85歳、どちらもまだ10年ぐらいは生きているかと思うんですよ(笑)。
なのでこの10年絶対ボケらんないなと思っていて(笑)。それと癌にはなれないから、腫瘍マーカーを定期的にチェックして、そういう大きな病気にならないようにすごく気を付けていますね。死ぬまで現役でいられたらいいかな。
山中 家族を支えるためにまずは自分のケアって事ですね。
安田 そういう事です。好奇心だけはあるんで、いろんなものにアンテナを立てて生きていけたら面白いかな。でも私、母たちの年齢まで生きなくてもいいんです。
山中 いや、大丈夫です。長生きしてください。
安田 もう本当におばあちゃん達見送ったらもういいです、って感じ。お義母さんを施設に入れた時、姥捨て山に置いてきてしまった感じがしたんですよ。夫を介護から解放するためと言いながら、なにかひどいことをしたのではないか、私はできることをやっただろうか。まだ、やれることはあったのに、ホームに追いやってしまったのではないか。
ずっとそういう気持ちを引きづっています。私が介護される立場になったら、もう食べないっていう選択の安楽死を選ぼうと思っています。子供に私と同じような気持ちを味合わせたくないです。橋田寿賀子さんが、自分は思い残すことないから、ゴハン食べられなくなったら、もうゴハン与えなくても結構ですって言っていらっしゃるんですね。
それ凄く分かります。それで自然に老衰していくんでいいんじゃないかって。痛みだけは取ってくれってそういう風に思ってエンディングノートにメモしてあるんです。
山中 そうなんですね。
安田 そういう自分の意志で生きていきたいなーって。肺癌の父を看取り、自分が死ぬと思っていなかった義父を看取り、そして今、認知症の義母の介護と心臓病を抱える実母の病院通いとケアをしているわけで、思うことは、経験の全てが勉強になったということですね。
最近うちの夫がちょっと体調が悪くて心配なんですけど、頑張って旅行に行こうって言っているんです。
山中 楽しいプランはぜひ実現してください。
安田 「人生100歳」って言われると、あまりに先のことなので、なにをどう考えて暮らしていけばよいかわからなくなりますよね。ちょっと先のお楽しみを目の前にぶら下げて、はい、ここまで来ましたね~。次は、これだよ~って言いながら、前に進む作戦の方が、私には合っているかもしれませんね。
山中 そうですね、目の前の喜びを糧にしながら生きていた方が楽しいですよね。
安田 そうそうそう、それで半年、また半年ってやっていくうちに・・・
山中 気が付いたら100年終わっていましたみたいな?
安田 そう!それがいいかも。
interviewer:山中伸枝(やまなか のぶえ)
ファイナンシャルプランナー(CFP)
株式会社アセット・アドバンテージ 代表取締役
Photo:新美 勝(にいみ まさる)
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